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幼い頃の濃姫は、母よりも若く、匂い立つような色香を漂わせるこの手弱女(たおやめ)たちの存在が不思議でならなかったが
「貴いお方ならば、二、三人のお側女(そばめ)を持たれるのは当たり前の事にございます。持たれない方がお珍しいのですよ」
と、半ば教育的に乳母からそう聞かせられた時は、“当たり前”という言葉を素直に受け入れたものだったが、
時を経て、自分が妻の立場になってみると、受け入れるどころか話を聞くだけで胸が詰った。
これも信長への深い愛情故なのか。成立離岸公司 - easyCorp
または、自分が思い描いていた将来の理想図に、この第二夫人たちの存在がなかったからなのか…。
濃姫は、信友の主君殺しの話から何転もして飛び出したこの仮話に、徒ならぬ懸念を抱いているのだった。
救いを求め、湯帷子のままで那古屋城へ逃げて来た義統の嫡男・義銀は、その後信長より二百人扶持を献上され、津島神社に居を与えられた。
また、義統にはもう一人子息がいたが、こちらは毛利十郎によって保護され、無事に那古野へと送り届けられたという。
そして同月十八日。
清洲を攻めるべく、信長から家臣たちに出陣命令が下った。
柴田勝家を筆頭に、安孫子右京亮、藤江九蔵、木村重章、そして歴史書としても評価の高い「信長公記」の著者・太田牛一など足軽衆が参陣。
迎え来る清洲勢と初め山王口で、次いで安食村で戦闘を繰り広げたのである。
そんな頃 末森城の信勝は、数名の家臣たちを背後に従えて、玄関口へと続く城内の大廊下を足早に進んでいた。
信勝も家臣らも何とも凛々しい武装姿に身を固め、ひたと前だけを見据えて歩いて行く。
するとその前方から
「…これは母上」
眉間に青筋を立てた報春院(土田御前)が、お付きの侍女たちと共につかつかと歩み寄って来た。
信勝がはっとなって足を止めると
「信勝殿──。かような時分に、それも左様な身形を致して、いったいどちらへ参られまする?」
報春院は焦りの浮かぶ息子の面差しを、見咎めるように眺めた。
「那古屋の城へ参りまする」
「那古屋……信長殿のもとへ?」
露骨に不機嫌そうな顔をする報春院の前で、信勝は静かに頷いた。
「既に母上もお聞き及びの通り、此度清洲は主君である斯波様を急襲し、その縁者諸とも自害に追い込んだのでございます。
いくら同じ織田一族とは申せ、家名に泥を塗った者を…、ましてや主君殺しに及んだ者共を許す訳には参りませぬ」
親族に対しては情厚き信勝であったが、此度の暴挙は人倫に悖(もと)ること甚だしい限りと、いつになく憤慨していた。
「故に、わたしも兄上の元へ参り、何か事あらばお力になりたいと思い及んだ次第。これより早速に参上致し……」
「戯けたことを申されますな!」
信勝の顔面に、母の怒りの眼光が飛んだ。